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平成2年、太田博の母校である郡山商業学校(現郡山商業高等学校)の五十嵐大祐をはじめとする同級生一同と同窓会の協力により、太田博をしのんで「無名詩人の碑」とひめゆり学徒隊をイメージした「乙女の像」が母校の玄関前に建立されました。「無名詩人の碑」の碑銘の由来は、沖縄での絶筆となった「未完」の中で太田博が自ら命名したことによります。碑には、入営前に作詩した自分への鎮魂歌ともいうべき墓碑銘が刻されています。以下に建立趣意を示します。

         無名詩人の碑 建立趣意

  郡商応援歌「星より星へ」「郡商健児の歌」などの作詞者

  故太田 博氏は十六期生、谷 玲之介の筆名で西條八十主

  宰『蠟人形』誌上に彗星のごとく現れ、散った無名の詩人

  でした。彼は第二次大戦中、沖縄で陣地構築の指揮を執っ

  た際、交流のあった「ひめゆり部隊」の乙女たちのため

  に、「想思樹の歌」を作詞しました。彼女たち沖縄師範学

  校女子部、沖縄第一高等女学校の生徒は洞窟のなかでこの

  歌をうたいながら若い命を散らしました。太田少尉もまた

  壮烈な戦死を遂げました。この碑は郡商創立七十周年を記

  念し、戦没者の霊を慰め、不戦を誓うとともに後輩の皆さ

  んにこの事実を知っていただくため、十六期生一同を中心

  に郡商同窓会のご協力により、建立したものです。

       平成二年十一月七日

             第十三代校長 横山  茂

無名詩人の碑ー「墓碑銘」より

乙女の像・別れの曲の3番が刻まれている

平成22(2010)年太田博の母校である郡山商業高等学校同窓会は母校創立90​周年記念に合わせて、「太田博遺稿集」を発刊しました。残された詩集「剣と花」以外にも「兜と花」「鎧と花」の二冊の詩集ノートがあることが知られていましたが、その行方は確認できませんでした。詩誌「北方」、「蒼空」、「蝋人形」、日記「随想」などを丹念に掘り起こすことによって、歴史に埋もれていた詩人太田博の人物像が浮かび上がってきて、思索に富みユーモアにあふれて詩作に躍動する快活な青年詩人のイメージがよみがえってきました。「別れの曲(相思樹の歌)」の誕生についてはひめゆり学徒隊の方々の証言を頂き、失われていた歴史のひとこまを現実のものとすることが出来ました。
同年12月23日編集委員代表がひめゆり平和祈念資料館を訪問し、宮良ルリ館長外ひめゆり学徒隊の方々のご出席のもとに「別れの曲」を合唱し、「太田博遺稿集」の贈呈が行われました。

     遺稿集連絡先:福島県立郡山商業高等学校同窓会

​            電話 024(922)0751

2011年3月11日未曽有の大震災が東日本を襲った。郡山市は全域で震度6弱を記録し、家屋倒壊、道路橋梁損壊、上下水道損壊など甚大な損害が発生した。住居だけで全壊、半壊、一部損壊で合計6万件を超える損害が確認された。加えて原子力発電所の暴走による放射能被害が加わり、市民は二重三重の苦難にあえいでいた。全国から多くの善意が郡山市に寄せられたが、いち早く沖縄の財団法人沖縄県女師・一高女ひめゆり同窓会から多額の義援金が寄せられた。
​太田博が結んだ絆は沖縄と郡山を強く結びつけている。

「太田博遺稿集」贈呈式ー​ひめゆり学徒隊の方々と編集委員代表

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