小学校5年生の時に実父母と離れて子供のいない伯父夫婦の養子となり、東京から遠く離れた郡山の養父母とともに暮らすことになりました。皇宮警察を退職した養父は謹厳実直で厳しい性格でした。「よしきり」が掲載された昭和11年4月は、太田博が郡山商業学校四年生に当たることから、三年生の時に投稿したものが年度替わりの四月号に掲載されたものと思われます。当時実父が銚子郵便局長へ転勤したことに伴い、実家は東京から千葉県銚子市に転居していました。厳しい養父との摩擦もあり、当時15歳であった太田博の母を想う気持ちが偲ばれます。
昭和10年ミスアンダーソンが郡山に赴任してきます。太田博の家から50メートル程の近くにあった宣教師館での聖書学級は、太田博の心を癒す快い揺りかごであったことでしょう。
よしきり
三年 太田 博
よしきり よしきり
よしきり 啼けば
何時か母様思ひ出す
遠いあのやまかは超えて
みそら輝く星の下
よしきり よしきり
よしきり 啼けば
何處か母様居るやうな
遠いみそらのはてのはて
明の小ほしの 落ちるやま
よしきり よしきり
よしきり 啼けば
戀いし母様 呼ぶやうな
遠いあなたの 白い海
渡ってお出でと 一つ星
郡山商業学校校友会会報第九号
昭和十一年四月
昭和16年太田博が20歳の年、文芸誌「蝋人形」誌上で詩作を競っていた中将愛星(伊藤寛之ー和歌山県・早稲田大学、25歳)、山﨑智門(金沢市生まれ、東京成城中学校卒、26歳)の二人の詩友が相次いで亡くなりました。面識はなくとも誌上を通じて心を通わせていた時に、兄とも慕う二人の詩人の死は、詩を人生の道しるべと心に秘めていた太田博にとっては、大きな衝撃でした。献詩はそれぞれに二人に捧げられて、深い哀悼の意が感じられます。
獻 詩
(いまは亡き詩人ちもんに)
夢も希ひも よろこびも
落葉とともに 散りしきぬ
なべて儚(はかな)き あくがれは
粉雪とともに 散りしきぬ
萬象(ものみな)聲を うしなひて
涙するとき 咽ぶとき
樹氷は咲きて 終るなき
きみの詩(うた)をば 象(かたど)らむ
第十二巻十二号(昭和十六年十二月号)
昭和16年「随想」と名付けた日記にはイギリスの思想家トーマス・カーライルの著作「衣裳哲学」の抄訳が載せられている。新渡戸稲造,内村鑑三などの先覚者が心を寄せたカーライルに、同じクリスチャンとして心を惹かれていったのだろうか。真理と真実はいずこにあるのか、時代・職業・法律・制度・しがらみの衣裳にがんじがらめにされた人間の本質はどこに隠されているのか。太田博は自らを省みて、人としてのありようを探し求めて行った。このテーマはやがて沖縄に赴任したとき、部隊の高射砲陣地構築に協力したひめゆり学徒隊の乙女たちの瞳の中に、何物にも曇らされていない叡智と、真摯で誠実な人間性が内包されていることを知って、感動のおもむくままにひとみを通して真実の人間を知りえた確信と喜びを「相思樹の歌」に昇華させていった。
一番 目に親し 相思樹並木
四番 澄みまさる 明るきまみ(眸)よ
「衣裳哲学」
恋人たちにとって數時間は數瞬間のように想
はれた。 彼は淨らかでそして倖せだった。
こよなく甘美な唇から 滾れる言葉のかずか
ずは彼の上に乾草(ほしくさ)にやどる露のよ
うに降(ふ)りそゝいだ。
心中の善き想ひはすべて囁やくように想はれ
た。「われらの此処に居るは善きこと」であ
る、と。別離(わかれ)にはブルーミンの手は
彼の手に握られてゐた。
彼等のうへに愛にみちた星がひかり、馥郁と
薫る薄暮、彼は再會を約したそれは拒まれる
ことがなかった。
《カーライルの「衣裳哲学」より
試譯を為す》
日記 「随想」から
To our Friends the hours seemed moments; holy was he and happy: the words from those
sweetest lips came over him like dew on thirsty
grass; all better feelings in his soul seemed to
whisper, It is good for us to be here.
At parting, the Blumine's hand was in his : in the balmy twilight, with the kind stars above them,
he spoke something of meeting again, which was not contradicted;
★抄訳 第五章 ロマンスの英文を抄訳している
星
あの星は
何の星
そっと呼びたい きみの名の
頭文字(イニシャル)か ゆふぐれに
たゞひとつ にしの空。
あの星は
何の星
そっと擁きたい 面影の
まなざしか ゆふぐれに
瞬いて なみだぐむ。
日記 「随想」から