「ひめゆりの塔」の前での慰霊のコーラスに際して、学徒隊を引率してひめゆりの乙女たちとともに、戦場をさ迷った仲宗根政善(琉球大学名誉教授)は、フラワーソングクラブをむかえて次のように追悼のことばを述べています。
「東風平先生、あなたの親友の後藤先生 (橋本憲佳)がただ今ここに立っておられます。後藤先生は三十年後に初めてあなたがここで最期を遂げられたことを知りました。
先生の指揮される高知市のフラワーソ
ングクラブの方々は、あなたの「別れの
曲」を真心こめて練習を重ねて、はるばる海をわたってこられました。
そして別れの曲の歌詞を作って下さり、皆様方を親切に世話し、生徒の皆さんから慕われた、太田少尉殿のご兄弟の方々も立っていらっしゃいます。
東風平先生、どうぞ今日はあなたのはっきりした大きな眼を見開いて下さり、先生方も生徒の皆さんも、どうぞ目開き耳を澄まして下さい。
皆さんが最後まで涙を見せながら歌われた「別れの曲」を歌い、御霊に捧げます。」
高橋文生蔵、『大琉球写真帖』関連資料、那覇市歴史博物館提供、
昭和25年のひめゆりの塔、昭和51年にはまだひめゆり平和祈念
資料館は完成していなかった。